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デビスカップ(Davis Cup)


デビスカップとは

「デビスカップ(Davis Cup)」は国際テニス連盟(ITF)が主催する、男子の国別対抗戦で、日本では「デ杯」と略されます。また、女子のテニス国別対抗戦は「フェドカップ」といいます。

デビスカップは、1900年にハーバード大学の学生選手だったドワイト・フィリー・デビスらの提案を受け入れ、米テニス協会(USTA)が「米英対抗戦」として始めたのが歴史のはじまりです。

ベルギー、フランスが参戦し、1904年からは、参加希望する国すべてに門戸を開く国際競技会となり、2012年の参加国/地域は133カ国になり、世界大会の規模となりました。
現在は、フランス最大の国際金融グループであるBNPパリバが、2002年よりタイトルスポンサーとなり、『BNP PARIBAS デビスカップ』(Davis Cup by BNP Paribas)の名称で開催されています。

さて、1900年の日本は、どんな世の中だったのでしょうか?年号は明治33年。デビスカップが創設されたのが、2月9日。

その4日後の2月13日に川俣事件が起こります。足尾銅山鉱毒事件の被害者農民らが東京へ陳情へゆく途中で警官隊と衝突した事件で、明治期の大規模な集会・言論弾圧事件として有名です。

3月10日には、治安警察法が制定。日清戦争後に高まりを見せ、先鋭化しつつあった労働運動を取り締まる為に制定された法律です。

9月8日には夏目漱石が文部省の留学生として英国に留学しますが、目的は英語研究のためで英文学の研究ではありませんでした。このロンドンでの滞在中に、随筆『倫敦塔(ろんどんろう)』が書かれました。

その時の世界は?というと、4月15日にパリ万国博覧会開催、5月14日にパリ五輪(第2回夏季オリンピック大会)開催、11月3日に初のモーターショーがニューヨーク市で開催、そして翌年にノーベル賞が創設されました。

と「デビスカップ」は、100年を超えた長い歴史のある大会であることがわかると同時に日本と世界の文化的な乖離(かいり)は相当あったようですね。

米英対抗戦としてスタートした「デビスカップ」にベルギー、フランスが加わり、1904年からは、参加希望する国すべてに門戸を開く国際競技会として2012年の参加国/地域は133カ国になり、世界大会の規模となりました。その優勝杯は、大会に寄贈したドワイト・デビス氏の名前にちなんで、1946年に『デビスカップ』の名称が与えられました。
3段にもなる台座のプレートには歴代の優勝チームの名簿が刻まれます。もちろん、優勝チームに渡されるのはレプリカです。

試合形式

試合は、サッカーのように対戦当事国による相互開催方式の「ホーム・アンド・アウェイ(Home-and-Away)」で行われます。開催国は、開催地と使用するコートサーフェイス(クレー、ハード、グラス、室内カーペットなど)を決める権利を持っています。
出場できる選手は各国4人まで、試合は原則として週末の3日間(最終日は日曜日)で行い、第1日目にシングルス2試合、第2日目にダブルス1試合、第3日目に対戦相手を変えてシングルス2試合の順で行い、先に3勝したチームが勝利します。
また、規則により3日目の第一試合は、両チームのナンバーワンの対戦と決められ、抽選会ではそれ以外の組合せを決めます。

試合形式は5セット・マッチ(Best of 5sets)制で、最後の第5セット目だけはタイブレークはなく、2ゲームアップまで行われます。
ただし、一方のチームが3勝し、チームの勝敗が決まった残りの試合では、3セット制で行うことができます。

ワールドグループ制

参加国は、実力・実績によってワールドグループ制でレベル順に分類されます。その中の最強16ヵ国がワールドグループを構成し、この16ヵ国の勝ち抜き戦(トーナメント方式)によって優勝(デビスカップ)が争われます。

またワールドグループの下に世界を3つに分けたゾーングループ(アジア/オセアニア、ヨーロッパ/アフリカ、南北アメリカ)があり、さらにレベルに応じて、I・II・III・IV の4段階のグループに配属されます。

これらのゾーンの4段階のグループ、及びゾーン最上位のグループとワールドグループの間では、毎年相互に入れ替え戦があります。ここで勝てば一つ上のグループに昇格します。

ワールドグループ入れ替え戦(World Group Play-off)

ワールドグループの1回戦の敗者8チーム、ヨーロッパ/アフリカ・ゾーン・グループ I の上位4チーム、アメリカ・ゾーン・グループ I の上位2チーム、アジア/オセアニア・ゾーン・グループ I の上位2チーム、計16チームの一発勝負(16-team World Group Play-off competition)によって争われます。
ワールドグループ敗者対ゾーン勝者という組合せではなく、国別ランキングの上位8チームと下位8チームが対戦するように抽選(Draw)し、8組の対戦カードを決めます。そして勝者8チームが次年度、ワールドグループに昇格します。

日本は2011年にワールドグループ・プレーオフで4-1インドに勝利し、ワールドグループ復帰を決めたが、2012年2月に行われたワールドグループ1回戦のクロアチア戦は2-3で敗れ、同年9月にワールドグループ残留をかけたイスラエル戦とのプレーオフでは2-3で敗れたため、アジア・オセアニアゾーン1部に降格となっていました。 今回はワールドグループに復帰したわけですが、再びワールドシリーズの初戦で負けるとプレーオフにも負けると再び同じアジア・オセアニアゾーン1部に戻ってしまうということになります。せめてワールドシリーズの初戦は負けないことですね。

歴代優勝国

1900年: アメリカ 3-2 イギリス
1901年: (開催なし)
1902年: アメリカ 3-2 イギリス
1903年: イギリス 4-1 アメリカ
1904年: イギリス 5-0 ベルギー
1905年: イギリス 5-0 アメリカ
1906年: イギリス 5-0 アメリカ
1907年: オーストラリア 3-2 イギリス
1908年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1909年: オーストラリア 5-0 アメリカ
1910年: (開催なし)
1911年: オーストラリア 4-0 アメリカ
1912年: イギリス 3-2 オーストラリア
1913年: アメリカ 3-2 イギリス
1914年: オーストラリア 3-2 アメリカ
(1915年 – 1918年: 第一次世界大戦のため開催中止)
1919年: オーストラリア 4-1 イギリス
1920年: アメリカ 5-0 オーストラリア
1921年: アメリカ 5-0 日本
1922年: アメリカ 4-1 オーストラリア
1923年: アメリカ 4-1 オーストラリア
1924年: アメリカ 5-0 オーストラリア
1925年: アメリカ 5-0 フランス
1926年: アメリカ 4-1 フランス
※フランスが決勝に顔を出して3年目、アメリカの連覇記録をストップしますが、その立役者がルネ・ラコステで、あのワニのマークのラコステの創始者です。
1927年: フランス 3-2 アメリカ
1928年: フランス 4-1 アメリカ
1929年: フランス 3-2 アメリカ
1930年: フランス 4-1 アメリカ
1931年: フランス 3-2 イギリス
1932年: フランス 3-2 アメリカ
1933年: イギリス 3-2 フランス
1934年: イギリス 4-1 アメリカ
1935年: イギリス 5-0 アメリカ
1936年: イギリス 3-2 オーストラリア
1937年: アメリカ 4-1 イギリス
1938年: アメリカ 3-2 オーストラリア
1939年: オーストラリア 3-2 アメリカ
(1940年〜1945年: 第二次世界大戦のため開催中止)
1946年: アメリカ 5-0 オーストラリア
※この年からアメリカからビル・ジョンストンとチルデンという選手が活躍し、強いアメリカとなります。
1947年: アメリカ 4-1 オーストラリア
1948年: アメリカ 5-0 オーストラリア
1949年: アメリカ 4-1 オーストラリア
1950年: オーストラリア 4-1 アメリカ
※この年からオーストラリアの黄金期を迎えますが、ケン・マグレガーが功績者で、その後を引き継くのが、あのケン・ローズウォールです。
1951年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1952年: オーストラリア 4-1 アメリカ
1953年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1954年: アメリカ 3-2 オーストラリア
1955年: オーストラリア 5-0 アメリカ
1956年: オーストラリア 5-0 アメリカ
1957年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1958年: アメリカ 3-2 オーストラリア
1959年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1960年: オーストラリア 4-1 イタリア
1961年: オーストラリア 5-0 イタリア
1962年: オーストラリア 5-0 メキシコ
1963年: アメリカ 3-2 オーストラリア
1964年: オーストラリア 3-2 アメリカ
1965年: オーストラリア 4-1 スペイン
1966年: オーストラリア 4-1 インド
1967年: オーストラリア 4-1 スペイン
1968年: アメリカ 4-1 オーストラリア
1969年: アメリカ 5-0 ルーマニア
1970年: アメリカ 5-0 西ドイツ
1971年: アメリカ 3-2 ルーマニア
1972年: アメリカ 3-2 ルーマニア
1973年: オーストラリア 5-0 アメリカ
1974年: 南アフリカ 対 インド
※なぜ、ドローの成績がないのでしょうか?この時のインドはビジャイ・アムリトラジが活躍し、デビスカップでインド・チームが初めて世界最上位の「ワールドグループ」決勝に進みましたが、その対戦国が南アフリカに決まったことから、当時アパルトヘイトを実施していた南アフリカとの決勝を出場辞退。その結果、インドは準優勝、南アフリカが優勝国になったという政治的な理由でした。
1975年: スウェーデン 3-2 チェコスロバキア
1976年: イタリア 4-1 チリ
1977年: オーストラリア 3-1 イタリア
1978年: アメリカ 4-1 イギリス
1979年: アメリカ 5-0 イタリア
1980年: チェコスロバキア 4-1 イタリア
1981年: アメリカ 3-1 アルゼンチン
1982年: アメリカ 4-1 フランス
1983年: オーストラリア 3-2 スウェーデン
1984年: スウェーデン 4-1 アメリカ
1985年: スウェーデン 3-2 西ドイツ
※西ドイツからウィンブルドンで史上最年少「17歳7ヶ月」で優勝したボリス・ベッカーが登場し、1988年に優勝に導きます。
1986年: オーストラリア 3-2 スウェーデン
1987年: スウェーデン 5-0 インド
1988年: 西ドイツ 4-1 スウェーデン
1989年: 西ドイツ 3-2 スウェーデン
1990年: アメリカ 3-2 オーストラリア
1991年: フランス 3-1 アメリカ
1992年: アメリカ 3-1 スイス
1993年: ドイツ 4-1 オーストラリア
1994年: スウェーデン 4-1 ロシア
1995年: アメリカ 3-2 ロシア
1996年: フランス 3-2 スウェーデン
1997年: スウェーデン 5-0 アメリカ
1998年: スウェーデン 4-1 イタリア
1999年: オーストラリア 3-2 フランス
2000年: スペイン 3-1 オーストラリア
2001年: フランス 3-2 オーストラリア
2002年: ロシア 3-2 フランス
2003年: オーストラリア 3-1 スペイン
2004年: スペイン 3-2 アメリカ
2005年: クロアチア 3-2 スロバキア
2006年: ロシア 3-2 アルゼンチン
2007年: アメリカ 4-1 ロシア
2008年: スペイン 3-1 アルゼンチン
2009年: スペイン 5-0 チェコ
2010年: セルビア 3-2 フランス
2011年: スペイン 3-1 アルゼンチン
2012年: チェコ 3-2 スペイン

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