"星野博美×上田洋子「すべての道は五反田に通ず──町工場から見た戦争と戦後」【『世界は五反田から始まっ..." の動画はこちら
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星野博美×上田洋子「すべての道は五反田に通ず──町工場から見た戦争と戦後」【『世界は五反田から始まっ...
星野博美×上田洋子「すべての道は五反田に通ず──町工場から見た戦争と戦後」【『世界は五反田から始まっ...
無料ダイジェストhttps://www.youtube.com/watch?v=pK_4xJhWOlI【登壇者の星野博美さんより】このたびゲンロンから『世界は五反田から始まった』を上梓した。その刊行記念イベントのタイトルは「すべての道は五反田に通ず」という。正直言って、意味不明である。客観的に、世界が五反田から始まっているわけはなく、すべての道が五反田に通じているわけでもない。しかし、これらにおずおずと「私の」を加えると、文章は成立する。「私の」世界は、祖父・量太郎が1916年、五反田に上京した時から始まり、「私の」世界では、すべての道やすべての鉄道は五反田に通じていた。1916年――。海の向こうでは第一次世界大戦が継続中で、ロシアではひたひたと革命の足音が近づいていた。少し前に革命を起こしたものの、国を掌握できずに失意の日々を送る孫文は、日本に亡命。そして五反田では、第一次世界大戦をきっかけに目黒川周辺に工場が林立し始めていた。海の向こうの戦争が、五反田を生んだといってもよい。外房の漁師の息子だった量太郎は、そんな五反田の「誕生」を目の当たりにし、自らも製造業の道に入った。五反田にお得意さんが多かったため、離れた場所に住むわけにいかなかった。そして自国が仕掛けた戦争によって軍需工場の製造ラインに組みこまれ、商売は安定した。1945年5月、焼け野原になって、すべてを失うまで。たかが五反田でも、確実に世界と連動し、大きな物語の一部分を構成していた。ちょうど、うちの町工場で作られる小さな螺子が、大工場に吸い寄せられ、戦闘機などの大きなものを構成したように。また工場労働者の多かった五反田は、革命を目指した人々が集まり、挫折した地でもあった。わが家には、こんな家訓がある。「ここが焼け野原になったら、ただちに戻り、杭を打て」その真意は何な...
動画ID:so44505102
再生時間:266:00
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タグ:ゲンロンカフェ(文化),世界は五反田から始まった,星野博美