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<ニュース・コメンタリー>舛添問題に見る日本人が政治家に求める清廉性の正体
<ニュース・コメンタリー>舛添問題に見る日本人が政治家に求める清廉性の正体
1か月以上にわたり政治資金の公私混同疑惑が都議会やメディアから厳しい追及を受けていた舛添要一東京都知事が6月15日、辞表を提出した。確かに政治資金の私的流用も問題だし、それが指摘された後の舛添氏の対応も酷いものだった。その意味では辞任は当然だろう。しかし、その一方で、どうしても一つの疑問が残る。それは、われわれが政治家に何を求めているのか、だ。政治資金を私的目的で流用する行為は、それが公費や政党助成金という形の税金であっても、あるはその他の形で集められた寄付金であっても、政治家は厳に慎むべき行為でることはまちがいない。政治資金規正法が政治資金の支出に対して大きな裁量を認めているのは自由な政治活動を妨げないためであり、家族旅行や個人的な嗜好のために非課税の資金の流用できるようにするためではない。そうした行為が政治そのものに対する信頼を失墜させることになる以上、舛添氏の行為は多いに批判されなければならない。しかし、それにしても、今回の舛添氏の政治資金の私的流用は、政治家であれば大なり小なりやっていることなのも事実だ。その内容も、また金額も、政治家としてはむしろ慎ましいレベルだったといっても過言ではないだろう。しかし、週刊誌上で公用車を使った別荘通いや政治資金の家族旅行への流用が報じられたとき、舛添氏は「一切違法性はない」と胸を張って週刊誌報道を一蹴した。それがメディアや世論の逆鱗に触れたことで、小さな政治資金の流用問題は、舛添氏の人格や政治家としての資質といった、より大きな問題へと延焼し、クソ味噌状態になってしまったわけだが、とは言え発端となった問題が政治資金問題だったことは念頭に置いておく必要がある。われわれは僅かな政治資金の私的流用も認められないほど、政治家に高度の...
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再生時間:37:35
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最新のコメント:それで全部財務省の言 全部透明にすると政治 日本人はバカ 自民舛添氏を追い落と どこだろう それはどっちの場合も ディベートって厳密な
タグ:政治,舛添都知事,政治資金