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足利尊氏の住んだ足利館趾「鑁阿寺(ばんなじ)」・楠木姫が足利家を敵城視察・電撃訪問! 〜栃木県足...
足利尊氏の住んだ足利館趾「鑁阿寺(ばんなじ)」・楠木姫が足利家を敵城視察・電撃訪問! 〜栃木県足...
足利といえば、楠木氏にとっては敵方なので、今までどちらかたいえば避けてきた栃木の足利。しかし、敵を知り己を知る必要があると感じ、この度、敢えて、敵地・足利に足を踏み入れてきた。鑁阿寺とは、足利氏宅内に立つ寺で、鎌倉時代の建久七年(1197年)、足利氏の念持仏であった大日如来を本尊とし、源姓足利氏2代目当主・足利義兼(よしかね)が発心得度し、自邸の足利居館内に建立した真言宗大日派の持仏堂で、現在、国宝に指定されている鑁阿寺本堂がそれにあたる。山号は「金剛山」で、奇しくも、足利の宿敵である楠木正成が立て籠った金剛山と同じ名を足利氏の持仏堂が冠しているのは皮肉なものである。現在の本堂は、1229年に落雷による火災で焼失し、現在建っている建物は正安元年(1299)に足利尊氏の父・足利貞氏により再建されたもの。鑁阿寺の建つ足利氏宅趾の敷地の四方には門が設けられ、周囲には土塁と堀が巡らされてあり、平安後期に誕生した初期の武家の館の面影が当時のままに残されている珍しい史跡で、国の史跡にも指定されている。千早赤阪村の楠公生誕地には楠木館趾が残るが、こちらは建物は残っておらず、遺構のみとなっているが、その形跡から見るに、足利氏宅と同じように堀と土塁を巡らせた同様の形状の敷地の造りであったと思われる。王政復古後から敗戦までは、楠木正成は「日本最大の忠臣にして軍神」として全ての日本人から崇められ、足利尊氏は「日本三大悪人」の1人に数えられた。一方、戦後の歴史観では、足利尊氏がヒーローとなり、楠木正成は「悪党」として貶められた。今回、私が出版した拙著『建武中興と楠木正成の真実』によって、「楠木正成悪党説」打破したが、時代やその背景、為政者の都合によって「悪」の定義は変わるのが常である。しかし、必ず一貫しておか...
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タグ:南北朝時代,鎌倉時代,鎌倉殿の13人