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出口王仁三郎は、1871年(明治4年)8月27日(旧暦7月12日)、現在の京都府亀岡市穴太に、農業を営む上田家五男三女の長男上田 喜三郎として生まれた。近所ではその聡明さから直感力や理解力に優れた人を意味する「八つ耳」の神童と言われていたが、13歳の時に通学する僧侶の小学校教師と喧嘩沙汰となり退学となったが、その学識と聡明さを校長に見込まれ、異例の処置として13歳にして代用教員として採用された。しかし、2年後、正式な小学校教員が赴任してきた為に辞職し、豪農の家に奉公して働くこととなった。23歳のころからは、園部の牧場で働きながら獣医を目指すが不合格となり、京都府巡査試験に合格するも拒否し、明治時代の若者として立身出世を目指す喜三郎は、マンガン鉱の探鉱やラムネ製造など幾つかの事業を始めるがいずれも失敗に終わった。ところが、26歳になると独立して「穴太精乳館上田牧牛場」を開業、搾乳・牛乳販売業を始めて成功を収めた。その頃、園部の南陽寺に滞在していた国学者・岡田惟平から古事記・日本書紀の国学的解釈と和歌を学び、次第に宗教に目覚めて行った。しかし、弟の由松が賭博にのめり込むと、王仁三郎はその賭博場に出入りし、賭場で頻繁に喧嘩をするようになり、最後は襲撃されて頭部に大怪我を負い、祖母から厳しく叱咤され、深い悔悟の念に駆られていたところ、初めての神憑りに遭い、王仁三郎に取り憑いた松岡芙蓉という仙人に、近所の高熊山で修行するよう指示された。穴太の高熊山で7日間の飲まず食わずの洞窟での瞑想修行の中で、王仁三郎は、初めて幽界の世界に入り込み、そこで見たものは、三途の川の前で閻魔大王の沙汰を待つ死者の列、そして三途の川で溺れる死者たちを助け、さらに高天原にて国常立尊の下で形成される宇宙創成の歴史や、地球、人類...
動画ID:sm41031379
再生時間:84:26
再生回数:再生回数:62 回
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タグ:大本教,出口なお,出口王仁三郎