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旧帝国海軍中尉として指宿海軍航空基地で務めた我が父 〜特攻隊の真実〜
旧帝国海軍中尉として指宿海軍航空基地で務めた我が父 〜特攻隊の真実〜
指宿市東方にあるここ田良浜には、指宿海軍航空基地があった。大東亜戦争末期、この基地から特攻隊員が飛び立っていった。当時、この基地で、私の父は整備士として多くの戦友を帽振れで見送ったのだ。マリアナ沖海戦で乗艦していた空母「翔鶴」が沈没し、奇跡的に救助された後の事である。生前の父は、戦後、全国各地の航空基地跡を巡拝したが、ここ指宿の基地跡だけは足を踏み入れる事はなかった。そんな父から聴き及んだ特攻隊の真実について、慰霊碑の前に於いて慰霊の祈りをこめてお話しさせて頂いた。( 6:13 〜)下駄履き特攻といわれる戦争末期の壮絶な出撃を見送ったからこそだろう。彼らは、大切な人を、大切な祖国を守る為、飛んでいった。沖縄は陥落、制空権を奪われ本土空襲により、民間人が多数無差別に殺戮されるという状況であり、本土決戦も間近に迫るとされた当時、1人でも多くの人を守り、一刻でも本土決戦を遅らせることができれば、と、只、その一心だった。利他の精神とその為に立ち向かう強靭な思い、それこそが大和魂であり、その大和魂が自然発生的に発露したものが特攻である。そんな彼らに対し、「可哀想」だとか「尊い犠牲」などと思い上がった事をゆめにも思ってはならない。彼らは大切なものを守るという崇高な一念で散華したのであり、これは男子として生まれたからこその、まさに男の本懐であり、そして、そこにあるのは悲劇などではなく、男としての誇りなのだ。大変お世話になった哲露の皆様に心より感謝申し上げます。#大東亜戦争#特攻#自虐史観
動画ID:sm40289561
再生時間:20:57
再生回数:再生回数:215 回
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最新のコメント:現代人こそ 畏敬の念 本当ですね。今の日本 現代日本人の考えが堕
タグ:自虐史観からの脱却,戦後レジーム,特攻隊