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満洲事変と満洲国建国 2


満洲事変と満洲国建国 2

1939年の時点で満洲国は、ドイツ、イタリア、スペイン、バチカンなど約20か国から承認されていたのです。満洲を支配する張学良の軍隊が消滅して、その支配権は、300万人の満洲人に戻り、清朝の最後の皇帝溥儀を元首に、故郷で独立宣言したにすぎません。清朝から独立した孫文ら漢民族はよくて、満洲人は独立してはいけないのでしょうか?1931年関東軍は、満州の現状を一気に改善しようと、張学良の軍をソ連が介入しない様に一気に追い払います。これが満州事変です。張学良の軍は15から22万といわれていましたが各地に分散していましたので、動きの速い関東軍と朝鮮から越境した日本軍、わずか1万4千に各個撃破されてしまいます。この作戦計画を3年かけて緻密に作り上げたのが天才的関東軍作戦主任参謀の石原莞爾中佐です。そしてこれを一番喜んだのは満州人でした。日本国内でも関東軍のこの行動を支持する人々が多くいて、陸軍には多額の支援金が寄せられました。政府も追認します。そして清朝最後の皇帝溥儀を元首に満州国が建国されます。日本が後押しをしました。支那人が多くなると土地の支配権は支那人に移ります。満州も同じでした。もともと満州は、満州人以外は立ち入を禁止されていた神聖な土地だったことを前回お話ししました。満州人にやとわれた小作人の漢人が、土地を奪うようになります。満州にロシア人のほかに漢人の難民や匪賊も流れ込んできます。日本が年号を昭和と改めたころ、中国では、各地に私兵をかかえた軍閥が群雄割拠していました。1925年ころです。日露戦争後、山東出身の匪賊の頭領のような人物が、日本を後ろ盾に満州をしだいに支配するようになります。張作霖です。私兵を雇い、逆らうものは見せしめに皆殺しです。満州人は、張作霖から、どんな重税を課せられてもさか...
動画ID:sm39232647
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タグ:満洲,満洲事変,石原莞爾


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