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【西国街道 】今に残る【廿日市 街道松】と【桜尾城趾(桂公園)】 廿日市市桜尾〜天神
【西国街道 】今に残る【廿日市 街道松】と【桜尾城趾(桂公園)】 廿日市市桜尾〜天神
西国街道旧跡〜廿日市(はつかいち)市で唯一残された文化財「街道松」。街道筋には幕府により4キロごとに一里塚(松とか木を植えてあった)さらに6mごとに街道松が植えられたという。大変なものですよね距離を考えただけでも。訂正=文政二年の記録では五十八本→六十八本(が正しい)桜尾城址(鎌倉初期 承久の乱の後 厳島神主家 藤原親実が築城し支配の拠点とした城)鎌倉末、室町〜戦国期は国人領主として下向して定住 神領を支配した。三方が海であり水軍もあった。次第に衰退し神主家継承争いにつけ込まれ友田興藤の時代に大内氏により滅ぼされ〜大内氏が城代を置く〜厳島合戦前に毛利に落とされ〜桂元澄が城番〜さらには城主となる。桂元澄死後は毛利(穂井田)元清の居城となる。関ヶ原の後、福島正則時代に廃城とされた。元澄の子孫元首相の桂太郎が買取、廿日市へ寄贈されて公園となる・・しかし戦後都市公園に作り替えてしまい城跡遺構は消滅した。ちなみに上記三名のお墓は廿日市駅の北側の洞雲寺にある(陶晴賢の墓もあり)妙見菩薩堂があるがこれは大内氏時代に大内氏の守護神氷上山興隆寺の妙見社から勧請されたものらしい(「はつかいちぶらり」ブログHP参照)廿日市招魂社=桂公園の山を見ながら進むと、大きくカーブした鍵型の辻の先にある。維新以後の戦没した英霊を祀る昭和十四年建立の神社。明治天皇が巡行でここにあった邸宅で休憩されたので記念碑がある。廿日市天満宮=旧廿日市宿にある神社。江戸時代までは「天神坊」と呼ばれた神仏習合。今は分離され同じ狭い山頂に天満宮と正覚院が並んでいる。桜尾城の支城篠尾城跡でもある(ただし遺構はない)はつかいち宿鍵型の辻と福佐売(ふくさめ)神社sm38273096
動画ID:sm38285858
再生時間:13:49
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タグ:西国街道,広島県,廿日市