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【西国街道 廿日市宿場跡】厳島神主家 桜尾城の鎮守「 廿日市 天満宮 」(旧廿日市の総氏神)(一)
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はつかいちの天神山 (篠尾山sasao yama)ちょいとだけ山登りです。創建は古く鎌倉時代承久2年(1220年)文官中原親能(大江広元の兄)の一族とも言われるている(毛利などと元は同族らしい)鎌倉幕府・御家人藤原親実が、厳島神主に任命され桜尾城に着任 。wiki参照。天福三年(1233年)篠尾山に荏柄天神より守護神としてより勧請したものと伝わる。やがて室町期に安芸へ下向して国人領主化していく。戦国末期郡山合戦ののち大内氏に反旗を翻した 厳島神主家が滅んだ後、次第に社運衰微して慶長五年に広島藩西の商業都市廿日市の氏子により再建されたといい「別当寺天神坊」と号した。その後、町の鎮守として続いてきた。神仏習合なんかわくわくします。江戸期は、佐方八幡(佐方地区)、新宮社(下平良)をも勧請し広島藩の西の大きな宿場である廿日市の総氏神とされた。明治以後、別当寺正覚院と天満宮が分離独立された。山上で並んでますけどね。調べてみて元々桜尾城にあったものを遷座したか?笹尾山(支城)に初めから社殿があったのか?いくつか微妙に違う説明を読みましたが一度郷土関係の本を探して調べてみないと。廿日市宿本陣あとの石碑〜参道を上り、山上の社殿前〜展望の休息所南〜東方面の眺めまで。狭い山頂に社寺のある山腹にあるコンクリートの補強と大楠が印象的な山。2018年に西国街道筋をぽつぽつ歩いたり散策するようになってからたまに参拝します。なかなかいいです梅とか景色とか巨木とか歴史とかね。長いのでその2後半は西方面の展望〜正覚院・千年大楠。天満宮関連神社新宮神社(藤掛城主が建立した〜下平良の氏神)sm38156694西国街道を少し進んだ宮内にある 宮内天王社(宮内上組の氏神)sm37969384桜尾城支城があった藤掛山の広田神社 sm36972757少し西にあ...
動画ID:sm38251015
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タグ:広島県,廿日市,神社